2.
三井家まではカシワギマサハルの家から歩いて約20分ほどだった。
カシワギマサハルは身長がゆうに180センチを越える長身なので、中学生育ち盛りとはいえ150センチの私とは歩くスピードが違うはずなのに、カシワギマサハルの歩くスピードは私に心地よい。
和服姿のため、早足で歩くことができないといえばそれまでだが・・・・・・・・・。
「大きな家」
三井家の門を目の前にして、私は思わずそうつぶやいた。
カシワギマサハルの家も立派な日本家屋平屋建てでだだっ広いのだが、三井家はそれにも増してさらに荘厳というか重々しいというか、大きなお屋敷特有の近寄りがたさをかもしだしていた。
カシワギマサハルは驚いている私を軽く促がし、躊躇するでもなく顔色を変えるでもなく、開かれている門をくぐって中に入る。
中に入って前を歩いていたカシワギマサハルが、ふと足を止めあたりを見回した。
そんな事をする理由がすぐにわかる。
そこには当然整えられた隙のない日本庭園が存在すべきであるはずなのに、期待したものは何もなかった。
そうじゃない。
かつてはあったのだろうが、今は何もかもを失ってしまった。そういうべきなのかもしれない。
生垣からはすべての葉が落ち、芝生の青は枯草と化している。池の水は枯れ、吹く風まで一層冷たく感じた。
しかし私は気がついた。
カシワギマサハルが見ているものはそれらのどれでもなく、その向こうにある大きな一本の木。
植物に関しての知識がない私には、それが何の木なのかはわからない。
「梅ですよ」
カシワギマサハルがそっと教えてくれる。梅かぁ。
「お待ちしておりました、どうぞこちらへ。柏木様」
紺ワンピースの三井さんは、今日は綺麗なグリーンのスーツを着ていた。
立派な日本家屋に住んでいる人だって、ほとんどは着物を着たりはしないんだなぁ、と私は変なところで納得する。
カシワギマサハルが変わり者なだけだ。
「ご覧の通りのありさまで・・・・・・・」
グリーンスーツ三井さんは、少し疲れたようにそう言った。
私たちは今縁側に並んで座り庭を見ている。草木が枯れ、鯉が死んだ池のある庭。
同じようにカシワギマサハルもじっと見た。
「あの梅・・・・・・・」
カシワギマサハルはポツリと言って、言葉を飲み込んだ。
「うめ・・・・・・ですか?」
グリーンスーツ三井さんも、庭の奥の梅の木のほうに視線を移す。
今はまだ梅花の季節には少し早い。
葉を落としきっている梅の木は、他の枯れ果てた柴や庭木と何の違和感もなく共存していた。
「あの梅はこの家が建てられる以前からあそこにあったらしくて・・・・・・・・・私にも詳しい事はわかりませんが・・・・・・・あの木が何か?」
「美しい花が咲くんでしょうね」
カシワギマサハルはそう言うと、するりと立ち上がり庭に下りた。
「少し、僕に時間をいただけないでしょうか?」
仕事をするときはなるべく人を近づけさせないのも、カシワギマサハルのビジネススタンスである。
私は一歩離れたところで、カシワギマサハルの仕事模様を見守る。
これも彼と私の間に交わされた暗黙の了解だった。
グリーンスーツ三井さんは、カシワギマサハルにやわらかく追い出された形で庭の見えない場所で結果を待つこととなっている。
カシワギマサハルはまず、梅の木の側まで歩み寄った。
梅の木の根元に立つカシワギマサハルは、まるで生きてないものの姿のように現実味がなくて、相変わらず私はドキドキする。
カシワギマサハルの仕事は、もう何度となく見てきたし危ない目にあったことだってある。
自分でもそろそろ慣れてもいいのではないかとも思うのだが、でもやはりカシワギマサハルが仕事を始めようとするその瞬間・・・・・・・・
言い換えるならば、本来人の目にはつかない何かと接触を図ろうとするその瞬間・・・・・・
私は胸が高鳴るのを抑える事はできない。
しかし私とはまったく逆にそういう時のカシワギマサハルの表情は、どんな感情もこもっていないように見えるほど冷たく感じた。
カシワギマサハルが、そっと梅の幹の中心に手を添える。
ふわりと一陣の風があたりを包みこむように通り過ぎた。枯れた木が枯れた音を響かせる。
意外と強いその風邪に目を細め顔をそむけた私が、視線を戻した先で見る。
薄い桃色の着物を着た髪の長い女の人の姿。
「ホントウにもうしわけアリマセンでしタ」
髪の長い女性はカシワギマサハルに深々と頭を下げると、こぼれるような美しい声でそう謝った。
カシワギマサハルの顔には、もうすっかり優しいいつもの表情が戻っている。
「やはりあなたの仕業だったんですね」
「・・・・・・・はイ・・・・・・・・・」
その髪の長い女性は、うつむいたままではらはらと涙を流す。
カシワギマサハルは静かに「大丈夫ですよ」と言って、ハンカチを手渡した。
あまりにもキザだが、2人とも和服で美形なのでなかなか絵になる。しかもカシワギマサハルは金髪なのだ。
まるで大正ロマンの世界である。
「誰もあなたを咎めたりはしません。きっと事情を知ればわかってくれますよ」
「デモ・・・・・・・ひとヲきづつけテしまいまシタ。ユルサれません」
「いいえ、大丈夫です。だってあなたは、話を聞いてもらいたかっただけなんでしょう?」
カシワギマサハルの問いに、髪の長い女性が声なく頷いた。
それに呼応するかのように風が吹く。冷たい2月の北の風。
「では僕でよろしければ話してくださいませんか?あなたの思い出を」