1.
学校からの帰り道、4時36分。
このままでいくと、5時からの再放送のドラマには余裕で間に合いそうだったので、私は走るのをやめた。
天気がいいのに、どこからともなく雪がちらついて落ちている。すくってみてもすぐトケル。
玄関の前までたどり着くと、ちょうど隣人の「カシワギマサハル」が和菓子屋の包みを片手に自宅の門をくぐろうとするところに出くわした。
「お客さん?」
私が聞くとカシワギマサハルはにっこりといつものように微笑み、軽く首を縦に振った。
「そっち行ってもいい?」
「いいですが、再放送のはぐれ刑事純情派は見ないんですか?」
私は非常に迷ったあげくに、はぐれ刑事はビデオ録画にしておくことにした。
ちょっとくらい見るのが遅れたって、藤田まことは怒ったりしないと思う。
隣人のカシワギマサハルの家は、古くて広い。
だからかなり寒い。
それなのに、カシワギマサハルは薄い和服一枚で平気な顔で過ごしているので、何故か私も寒いです、とは言い出せない。
カシワギマサハルは、生活の99%を和服で過ごす。彼は茶道の家元なのだ。
中学生の私には難しい事は良くわからないけど、弟子なんかもいてそれなりに儲けているのかもしれないが、何故か私にはとても貧乏くさい生活ばかりが目に付く。
「それが茶道の心というものですよ」
と、カシワギマサハルは偉そうに言う。
そんな彼はなんと金髪碧眼だ。
カシワギマサハルという、立派な日本名にもかかわらず、誰がどこから見ても外人の容姿を持っていて、それでいて和服姿なのだ。
はたから見ると、うかれまくってる外国人観光客そのものである。
でも、カシワギマサハルは全然そんな事は気にならないらしく、いつもにこにこ愛想よくお茶を立てるので、近所でも有名な和服の外人になってしまった。
まるで町の名物おじさんのように・・・・・・・・
「今日のお客さんってどんな人?」
お客用の茶菓子を一足先にいただきながら、これから尋ねてくる予定の「お客」について、聞いてみた。
カシワギマサハルは、「仕事」の事について、口にする事があまり好きではない。
「僕もはじめて会う人なので、よくわかりませんよ」
そもそも口数は多いほうではないカシワギマサハルではあるが、とくに仕事前になると口をつぐむ傾向が強くなる。
そんな事もいちいち気にならなくなった。
カシワギマサハルとの付き合いは、そろそろ2年になる。
その時「ごとん」と門の開く音がする。このうちはとても静かなので、そういうちょっとした音が必要最小限に耳に届くのだ。
カシワギマサハルが立ち上がり、お客を迎えにゆく。
私もその後に続いた。
玄関の戸を開けて現れたのは、シワ一つない紺のワンピースをきちんと来た、品のよさそうな30才前後の女性だった。薬指に結婚指輪。
「はじめまして、柏木雅治です」
「猫がいなくなったんです」
紺のワンピースの女性は自分の名を「三井」と名乗ると、すぐにそう言って本題に入った。
ここに来る人たちはみんなそうだけれど、この人もやはり切羽詰っているようだ。
「それから、庭の木や草が枯れ初めて・・・・・・・・」
カシワギマサハルは、紺ワンピース三井さんの話をじっと聞いているだけで、顔にはどんな表情も浮かんでいない。
穏やかで感情がない人形みたいに。
「2日後に朝起きると、池の鯉が死んでたんです。全部」
紺ワンピース三井さんはそう言って一度言葉を区切り、うつむいてしばらく頭の中を整理しているようだった。
「それから、子供の具合が悪くなりました。その上主人が交通事故で・・・・・・・・・」
「亡くなったんですか?」
思わずそう聞いたのは、私。
人生の不幸がいっぺんに舞い降りてきてるような話に、思わず口を出さずに入られなかった。
カシワギマサハルに、視線だけでちょっとたしなめらる。
「いいえ、足を骨折しただけですみましたが・・・・・・・・でも・・・・・・・・・」
気味が悪い・・・・・・・・紺ワンピース三井さんはその言葉を飲み込んだ。
そう、ここに相談に来る人のほとんどすべては、「気味が悪い」という理由に尽きる。
原因不明の災難のオンパレード。
偶然で済ませるには、あまりにも重なりすぎた不幸の羅列。
カシワギマサハルのもう一つの隠れた仕事が(あるいは、こっちが本業なのかもしれないけれど)、
こういう「気味が悪い出来事の相談役」である。
簡単に言うと、カシワギマサハルには「霊能力」というものがあるらしいのだ。
カシワギマサハルはその「霊能力」をもちいて多くの人の相談に乗り、必要に応じて出向き、いろいろな超常現象を解決していく。そういう仕事をしているのだ。
私には「霊能力」はこれっぽっちもないので、その力がどういうもので、カシワギマサハルがどの程度の力の持ち主なのかはよくわからない。
しかし今まで見てきた感じでは、ここに来る人たちのほとんどはどこにいってももうだめで、最後の望みという感じでカシワギマサハル宅の門を叩く。
そうやって来た人たちのほとんどの問題を彼は解決してゆくので、そこそこの能力は持っているのではないだろうかと、私は何の根拠もなく推測しているのだ。
「もちろんいろいろなところに相談しましたが、どこに行っても原因はわからず・・・・・・・途方にくれていたところで、柏木様の名を聞きまして・・・・・・」
紺ワンピース三井さんも相当煮詰まっているらしい。
そりゃあ、
家の庭木が枯れて、
池の鯉が死んで、
子供が原因不明の病気になって、
だんなさんが事故にあって、
おまけに猫まで逃げたとなったら、
こりゃあもう、かなりのダメージに違いない。
しかもどうもやり口が陰険だ。じわじわと攻め立てているようで、気味が悪い。
カシワギマサハルはそれまで黙って耳を傾けていたが、紺ワンピース三井さんがひとしきり話し終えたと察すると、いつものように静かな声で諭すように言った。
「今日はもう日が落ちます。明日改めまして三井様のお宅にお邪魔したいのですが、ご都合の方はよろしいでしょうか?」